誠光社の通販を見ていると、なにやら売れている本があるらしい。
タイトルは『珈琲の建設』とある。
ちょうど、ハンドドリップで朝食の珈琲を淹れるのにハマっていたので、おっ!となった。
通販サイトの紹介文には…
野蛮なエスプリと高邁な屁理屈で語り尽くす、珈琲の技法、美味しいの境界線、喫茶店という文化。読むものを挑発し、苛立たせる、堂々巡りの「反=珈琲入門」。「ドリップなんてする必要ない」、「味には一点など存在せず「間」があるだけ」、「味なんか三流でもサービスがいいところを選ぶ」、「資本は常に「美味しさ」のた めに資本を投下するわけではない」、「お料理とか味とかって形而上と言われる世界と一緒で、複雑だからこそ素晴らしい」などなど、挑発的で、鮮やかなアフォリズム満載の独り語り。
と、ある。
『読むものを挑発し、苛立たせる、堂々巡りの「反=珈琲入門」』か。
既存の珈琲論の否定か何かだろうか。
怖いもの見たさな感じで、ますます読みたくなったので、ポチっと注文してみることにした。
『珈琲の建設』オオヤミノル
自宅に届いた小包から本を取り出してみた。サイズ感は小さめのハードカバーで、そこまで分厚くもない。
さっそく読んでみる。
…なるほど、こうきたか。
タイトル通り、珈琲のことが淡々と建設的に論じられていくのかと思ったら、内容は語り口調。インタビューをそのまま本にしたような形だ。
だが、それがおもしろく、とても生々しい。
オオヤさんにはお会いしたこともないが、こんな人なんだろうなというのがリアルに伝わってくる。
珈琲論も確かに書かれているが、当時の喫茶店の様子やカフェブームの盛り上がりに浮かれる人々などを冷静に論じていたりするのもいい。
雑誌などでは、カフェをいいようにしか扱わないが、こういう考えもあるというのはなかなか面白かった。
ああ、この雰囲気何かに似ているな…と思ってたら、思い出した。
地元で長くやっている店のカウンター越しに、店のおやじが近頃の飲食店の形を自分の見地から論じていく、あれだと思った。
こういうのって、プロ目線とお店の歴史があって初めて成立するので、聞いていて楽しんだよね。
それが本で味わえるって、なかなかないと思う。
気になった箇所
これ、おもしろいな。と思ったのは、京都の有名な珈琲店、六耀社の奥野修さんの言動で、「いまいっぱいです」と断ったお客さんが食い下がり、空いている席を指して、「ここ空いてるやん」と言われたことに対して、「それはぼくが決めることです」と言い放ったこと。
これについてオオヤさんは、意地悪で断ったんじゃないという。
どういうことかというと、新しく来たお客さんも今の状況なら注文しても待たされてきっとイライラするだろうし、現在待たされているその他の多くのお客さんの待つ時間も増えるだろうから、断ったんだろうと言っているのだ。
このやりとりに関して、こういったお店の在り方もあるんだなと思った。
以前に奥野さんのインタビューを見たことがあるが、ゆったりと珈琲を楽しんでいる人を焦らせないようにするために、六耀社では行列を作ったりして待ってもらわないようにしているらしい。
今回の「それはぼくが決めることです」というのもそういうことだったんだろうなと思う。
最近のお客様は神様だからなんでもサービスするという風潮があるが、そうではなくて、お客さんであっても対等に、人間同士としてやりとりするコミュニケーションを大事にしている方なんだと感じた。
さて、京都のコーヒー文化を見てきたオオヤさんによる『珈琲の建設』
独自のコーヒー論と、時代の移り変わりを生々しく味わえる本書である。
ちなみに、本書は誠光社の堀部さんが『聞き出し、噛み砕き、文字に起こして整理した』と、あとがきに書いている。
珈琲好き、喫茶店好き、カフェ好き、おやじ好きな方に。
ぜひ、一度手に取ってみることをおすすめする。
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